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水木しげる先生亡くなる 左手を失うも、妖怪を描き続けた漫画家。 [水木しげる]

ゲゲゲの鬼太郎.jpg


11月30日、

漫画家の水木しげるさん

多臓器不全のためにお亡くなりになりました。



「ゲゲゲの鬼太郎」「悪魔くん」などの

人気漫画を手がけられ

妖怪ブームを巻き起こした人気漫画家でしたが、

突然の悲報により

多くのファンからの悼む声が相次いでおります。






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水木しげるさんは、11月30日の7時頃

都内の病院で亡くなられ、

93歳という年齢でした。



これまでに多くの漫画作品を残されており、

「ゲゲゲの鬼太郎」はその中でも

最も有名な代表作ですね。


水木しげる②.jpg


「少年マガジン」で連載された

「ゲゲゲの鬼太郎」をはじめ、

妖怪を描いた作品が印象的だった水木しげるさんは、

日本中に妖怪を広めた

妖怪漫画の第一人者でしたね。



そんな人気漫画家の水木しげるさんですが、

彼が左手を無くされていたという話は

ご存知でしたでしょうか?



左手を腕から無くされながらも、、

これまでずっと漫画を描き続けられて

素晴らしい功績を残されていますよね。



これには本当に尊敬いたします。



しかし、どうして水木しげるさんは

自身の左手を失ってしまったんでしょうか?





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水木しげるさんは戦争時代、

高等小学校を卒業されてからは

漫画家を目指すために大阪に移り、

働きながら漫画を描いていました。



しかし日本は戦争の最中で、

いつしか水木しげるさんも陸軍の兵隊として

ニューギニア方面に出征されたそうです。



そして太平洋戦争の頃には

ラバウルの地で熱病に感染し、

野戦病院で療養していたときがありました。



水木しげるさんはその療養中、

敵の爆撃に遭う事となり、

その際に左手を失ってしまったのです。



そしてその治療の為、軍医の手により

麻酔なしで左腕を切断したのだとか。



何とも壮絶なエピソードですが、

本当に大変な目に遭ってしまったんですね。



左手を失うという、

漫画家にとっては大きなダメージを負うことになりますが、

その困難を乗り越えて

念願の漫画家として大成されたわけですから、

その努力と不屈の精神は凄まじいものがありますね。



水木しげるさんが生んだキャラクターの

鬼太郎には左目が無いのですが、

これは水木しげるさんの左手がない事と

重ね合わせているんだそうです。


鬼太郎.jpg


左手を無くしても漫画を描き続けたのは、

自ら経験し目にしてきた

戦争の実態やその思いを

伝えていこうとしていたんでしょうね。



「総員玉砕せよ!」「娘に語るお父さんの戦記」など、

自身の体験した過酷な戦時の経験を元に

手がけられた作品も多くあります。



水木しげるさんが描く妖怪にも、

人間を疎外し、自然環境を破壊する現代文明に対する

痛烈な批判もこめられているようです。



戦争を体験し、戦後の貧困を味わった

水木さんの分身として

妖怪が生み出されているんでしょうね。



こうして水木しげるさんが残したメッセージを

「妖怪」というかたちで

今後もずっと日本に伝わり続けるといいですね。



だからこそ、妖怪という存在は

永遠に不滅であるのだと思います。


【関連記事】
・水木しげる死去 「ゲゲゲの鬼太郎」など、妖怪と歩んだ生涯に幕を閉じる。





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水木しげる死去 「ゲゲゲの鬼太郎」など、妖怪と歩んだ生涯に幕を閉じる。 [水木しげる]

水木しげる.jpg


「ゲゲゲの鬼太郎」

「悪魔くん」などを手がけた漫画家

水木しげるさんが亡くなられました。



妖怪を描かせたら

右に出るものはいない、

そんな偉大な漫画家でしたが、

11月30日、東京都内の病院で

多臓器不全のためにお亡くなられたそうです。





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ゲゲゲの鬼太郎.jpg


私も幼少の頃から

水木しげるさんの作品に触れ、

漫画家水木しげるさんを尊敬していましたので

この訃報には本当に驚きました。



93歳という高齢ではありましたので

そう永くはないとは思ってはいましたが、

こうして報道を聞くと信じられない気持ちになりますね。



水木しげるさんは

本名を武良茂さんと呼び、

高等小学校を卒業後に漫画家を目指されました。



大阪で働きながら漫画を学び、

戦争中は陸軍の兵隊として

ニューギニア方面に出征されたみたいです。



そして戦後には一時

紙芝居を商売にしていた時代もあったようで、

その後、1958年に貸本漫画家としてデビューされました。



「河童の三平」「悪魔くん」などの作品を発表されて、

「週刊少年マガジン」に「ゲゲゲの鬼太郎」が連載され、

妖怪を扱う人気漫画家となっていきます。



漫画家・水木しげるさんは、

幼い頃に夢馳せた妖怪たちに生涯こだわり続け、

これらの漫画を描き続けました。





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自分が小学校の低学年のとき

学級文庫というやつですかね、

そこに水木しげるさんの描いた

「河童の三平」「悪魔くん」

「ゲゲゲの鬼太郎」の漫画があったので

気になってよく読んでいました。


河童の三平.jpg


その独特な雰囲気と

ストーリー、登場人物に惹かれて、

その頃は何度も読み明かしていましたね。



水木しげるさんの描く妖怪や悪魔は

怖いと思いながらも、ユーモアがあったり

愛着のあるキャラクターだったので、

子供ながらにも受け入れる事ができたように思います。



妖怪や悪魔に恐れを抱きながらも

同時にとても興味を抱いていましたし、

自分の妖怪の知識は

これらの漫画から得たものばかりでした。



そんな中でも、

特に大好きだったのが「河童の三平」で

これはしょっちゅう読んでいました。



アニメ作品も好きでしたし、

「悪魔くん」に出てくる12使徒には

当時ものすごく憧れていた気がします。


悪魔くん.jpg


そんな子供時代の記憶にも

印象的に残っていた作品でもあったので、

その作者である水木しげるさんが亡くなられたというのは

本当に寂しい気持ちになりますね。



大人になってからは

あまりそういう作品を読む事がなくなってしまいましたが、

またいつかそのうち、

「ゲゲゲの鬼太郎」や「河童の三平」など

水木しげるさんの作品に

もう一度触れてみたいなと思います。



水木しげるさん、この度は心より、

ご冥福をお祈りいたします。



あちらの世界でも妖怪たちと一緒に

楽しく暮らせていたらいいですね。


【関連記事】

・水木しげる先生亡くなる 左手を失うも、妖怪を描き続けた漫画家。





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